葬式評論家!?
嫌いな肩書のひとつに「評論家」があり葬式評論家と称するなら少なくとも1,000や2,000施行を直接担当してなければ葬式評論なんて無理、理由は3,000数百件を担当してきた僕でさえ、今以て教えられ、考えさせられ、新たな学びの日々だからです。
これらの学びに終点が無いのは『常識は時代や情勢で刻々と変わる』から、土葬が当り前の時代から、墓の時代となり、少子化で散骨や樹木葬が増えたり、自宅葬式から施設葬が当り前、一般葬から家族葬や直葬へと移行してきた現実は誰でも知ってます。
コロナ感染も含め様々な時代背景の中で変化し続ければ、俗に言われるマナーも変わって当然、なのに旧態依然の感覚を押し付けたり、自分の常識を葬儀の常識のように伝えるのは「百害あって一利なし」でしかありません。
評論家にとっては他人事ですから世間体、見栄など無責任に好き勝手言えるけど、大事なのは世間体なんかではない! 故人を大切に想う人、故人が大切に想ってた人達が葬式の最後となる肉体処理を行う時間であって商売する人達、義理で来る人達は二の次です。
家族の目線で発言できない人が葬式評論家を名乗るべきではない。というか施行責任者としての担当数が少なければ出来るはずが無いんです。正確に言うとサラリーマンの担当者は会社の方針に沿った言動しかできず、利益優先の葬儀社に家族目線は存在しません。
『葬儀評論家』『葬祭ディレクター』の意見は決定事項と言えるほど強い、だからこそ商業ベースや慣習からのマナーや常識を押し付けるべきでなく、個々の家族毎の価値観、宗教観、諸事情を最優先した情報提供をする習慣を創り出して欲しいのです。
葬儀屋は黒スーツ、なんで!?
この質問をした17年前「家族や故人に失礼だから」と言われた初めての葬式は黒の略礼服を着ましたが、その後3,000件以上は一度もスーツを着た事はないから、家族や故人に無礼を続けてきた事になるはずだけど、家族からの苦情は一度もありません。
それどころか62才になった時、今の施行数を続けたら身体が持たないと年間270施行を100施行まで減らす目的と、今まで疑問を感じて来た支援の中止、対象外となる会員さんには2年間の猶予のあとで、会員継続か退会かを自身で決めて頂きました。
それから8年間広告宣伝をせず、菩提寺の葬式と寺墓所の人、一般葬希望者、お客様扱いされたい人、横柄や傲慢な人、余裕のある人、そして非会員の依頼は受けませんと公言し続けましたが、5,000名の会員数が減るどころか増え続けてます。
家族が我々の服装を始めとした各種対応が失礼だと思ってるとしたら増えるでしょうか? 勿論、気に入らない人もおられるでしょうが、全ての人に好かれるのは無理だし、そんな発想すらありませんから当支援センターに合わない人がいても当然です。
服装にはTPOがあり、僕もサラリーマン時代は100着以上のスーツを所有してたように、料理人、工事現場、職人、登山、スキー、様々な仕事や場面のTPOに最適な服装をしているはず、我々の仕事は葬式の裏方、誰が見ても業者と分るべきとスーツでなく比較的ラフな全身真黒です。
家族の服装も同様
亭主が終幕を迎えた高齢の配偶者がおられるケースは多く「お母さん礼服は生地が伸びないから苦しくない?」と聞くと「うん苦しい」と言われる事も多い「なら全員が私服にしたらどうか」と勧めたり、黒服が無くても買う必要はないと伝えます。
ぶっちゃけ、ど派手な格好でなく、それらしい服装なら何でも良く、高齢者が楽に過ごせる事が最優先、無理をして葬式で体調を崩すほうが問題です。
マナーの基本的な考え方
仕事の付き合いや招待で料亭も良く利用したり、30代の頃は当時の市長と姉妹都市のアメリカ・友好都市のイタリアなども同行させて貰い、相手先市長主催の食事会、企業の集まる晩餐会なども相当数出席しましたが僕の知るマナーと葬式マナーは異なります。
『マナーとは周囲の人達に嫌な想いをさせない事』ですから、国や地域によっても異なるもの、例えば日本の蕎麦はズルズルッと吸い込む音は旨そうと言われるけど、イタリアでスパゲティは吸い込まず、音をさせて食べるのを嫌がります。
故人や家族が黒礼服で会葬の指定なら礼服着用がマナー、今までそんな家族はいませんし、個人的な感覚を言わせて貰えば、仕事の途中で来てくれる人は仕事着で良い、それを非難するような家族の支援をしたいとは思いません。
過去の経験
経営者が多く集まる場の夕食はコース料理、肉料理だけでなく魚料理も出て来るセッティングで食器類も多く、レモンが一切れ入ったフィンガーボールもセットされてました。
会議で知り合った人と隣同士で座って話しをしてると、フィンガーボールを手にして水を飲んだのを見て驚き周囲にも数人気付いた感じ、当人も周囲の視線を感じたようでしたので「僕も喉カラカラ」と言いながら同じように水を飲んでウェイターを呼びました。
「ごめん、喉カラカラで配膳まで待てなくて水飲んだから入れてください。ついでにグラスにもお願いしますね」と伝え、フィンガーボールで指先を洗い、更にグラスの水を飲んだ事があります。
テーブルマナーで言えば彼の行動はNGですが、恥をかかせない事のほうがベターの思いからとっさの行動でしたが、彼の行動をせせら笑う人がいたら、それが普通でしょうか? 葬儀業界で言われるマナーの多くは「せせら笑う人達の発想」に思えるのです。
大切なのはマナーを守ることより全員が食事を楽しめる空気にする事では? 僕の行動がどう捉えられたか分かりませんが、少なくとも彼ひとりが嫌な思いをする事だけは避けられました。
マナーは様々
俗に言う坊ちゃん育ちで小学生の頃から、父親に連れられレストランで洋食マナーを教えて貰ったお蔭と言うか、せいと言うか、今以てご飯はフォークの背に乗せて食べるほうが楽だし早いというイギリス風の作法が見に着いてます。
洋食コースで骨付きの魚、鶏でも困った事はありませんから父親に感謝ですが、どう考えてもフォークの腹に乗せて食べるほうが合理的なんだけど、腹側に乗せて食べるのは苦手です。
レストランなら、大声で話さない、ガチャガチャ音をたてない、走り周らないなどは全て周囲の人達に迷惑を掛けない為だけど、中国の人達は大声で賑やかだし、テーブルの上は汚すし、完食せず少し残すのがマナーと言いますから「郷に入っては郷に従え」です。
僕の知るマナーからすると、日本のマナーは面倒な作法の押付けでしかなく、大前提の『食事を楽しむ』が欠けており、余分な神経を使いながら食べて旨いはずがありません。
葬式も同様で主人公であるべき家族は接待係のような状態、親戚は来てやった感丸出しで偉そうにふんぞり返ってるだけなら来ないほうが良い、家族に代わって細々した雑用を引き受けるのが親戚としている価値だと思うから、役に立たない親戚を呼ぶ必要はありません。
家族以外が守るべきマナー
① 金を出さない人は口も出さないのは最低限のマナー
② 食事が出る葬式なら参加人数分の香典を包むべき
③ 親戚なら「お手伝いする事は?」の声くらいは掛けるべき
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