宗教者とは思えない対応
長い人生の中で金が無い時期だってあるだろう。ましてや家族が入院や治療をした後の逝去なら、金が無くても不思議でなく、個人で商売をしてた人、農業、漁業、林業従事者は国民年金しかない老人世帯だから余裕が無くて当然なのは誰にでも分かることです。
まだ、あんしん館もなく10万円で直葬すら出来ない設立当初、葬儀支援センターの文字を見て、葬式相談に乗ってくれる市役所のような場所だと思って来られたようでした。
当時の僕は仏教葬が普通だと思っており、相談者は菩提寺の隣に住んでおられ息子は障害があり余裕がないと言うので、経済状態を寺は知ってるか聞くと「知ってます」との事でしたから、宗教者なら謝礼は要らないと言うのでは? と自信を持って伝えた。
当支援センターより低価格の表示をする葬儀屋もありましたから、安い葬儀屋に依頼して寺にも改めて事情を話せば、10万円もあれば寺で仏教の葬式ができる気がすると伝えた。
それから数か月後、その女性が結果報告に来られたのですが驚きの内容でした。
怒りを覚える菩提寺
まず檀家である菩提寺から40万円の布施を要求されたと聞き、家族の経済状態は伝えたのか? と再確認したがしっかり伝えたと言うので驚愕、寺の隣の家なら生活状態も分かるはず、その上で40万円が請求できる慈悲の心に欠ける人間が宗教者であっては成らんと怒りしかない。
毎年の年会費だけでなく、本堂の屋根修繕、門の修繕など寄付は当然のように請求して世話になってきたのに、生活が苦しいと言ってる檀家でも葬式謝礼はキッチリ取る。この行為の何処が宗教者なのか「ふざけるな!」の怒りを覚えるのは僕だけでは無いだろう。
寺を支えてくれる檀家が困っていても、自分達の利益を優先させる思考は何処から出るのだろうか!? それが人としての道理から外れた行為であると気づかない程度の人間が他人に説法や法話? 宗教うんぬん以前に『人としての道徳を学ぶべき』だから菩提寺の葬式は受けない
5万円でしてやった
設立から10年近くは菩提寺の葬式を受けてましたが、当支援センターが5万円直葬プランを実施していると聞いてきたようで、最初に挨拶すると住職が話はじめました。
ごちゃごちゃ言ってましたが「だから5万円で葬式してやったんさ」の言葉だけが耳に残った「してやった!?」恩着せがましい本音の言葉「5万円で受けしました」なら理解も納得もできますけど、してやったの言葉を聞くだけで本性が分かります。
金も払わないくせに
余裕の無い家族の葬式でしたが、菩提寺の墓に父親が入ってる事もあり、母親も入れたかったのでしょうが葬式の読経を終えて戻った住職から出たのは「金も払わねぇくせに言う事だけは一丁前だ」と我々がいるのは承知ですから、この人も大した人間ではありません。
子供だからと継ぐべきでない仕事がある
県内ではそれなりに歴史のある寺の住職でもこんな程度、寺に生まれたから住職になっただけなのでしょう。医者に生まれたから医者になるも違う気がするし、当支援センターも後継ぎの話は良く出ますが、我々の子供だから出来る訳ではありません。
キリスト教との違い
僕は完璧なる無信仰者なので特定宗教を支持する事はありませんが、沢山の宗派があるキリスト教の中でも「プロテスタント」は余裕の無い信者の葬式を無料でしてくれた経験が2回あり、遺骨も無料で引き受けてくれてます。
比較的費用の掛かる葬式を行うカトリックでも、神父が話してる途中で会葬者の間に中身の見えない袋を回して、各自がポケットから自分の価値観で袋に入れる程度の費用で葬式してくれた経験もありますから、キリスト教会は葬式で儲けようとせず信者を大切に考えるのでしょう。
菩提寺の葬式も数百件はしてきた
仏教くらい宗教者らしくない宗教者を知りません。手前味噌ですが住職と呼ばれる人より、凡人の僕のほうが宗教者っぽいとさえ思えます。
霞を食えとは言いませんけど『慈悲の心』『慈愛の心』を持たず、他人の事を考えられない人間が宗教者を語るべきではない、そんな人間の法話など臍で茶を沸かすに等しく信頼に足る人物とは言えず、単なる葬式坊主という職業の人だろう。
そんな住職の檀家になってる人はいい迷惑で可哀そうだが、檀家の世話役をしてる人ほど布施が高いのも理解も納得もできない、その現実を憶測するに「世話役の布施を下げると檀家達から値引き交渉されると利益が減るから」の防止策だと思える。
ただ全ての宗教者を知ってる訳でなく、当支援センターの存在は必要と超低謝礼でお手伝いしてくれる宗教者らしい住職もおられるのは事実、とはいえ100人住職がいたら90人以上は僕より凡人の檀家を喰いものにするような人達としか思えない。
1年~2年の修行で人間は変わらない
祖母の逝去で葬式依頼、当方でも住職依頼できると伝えたが、菩提寺があるのでと2人の孫が菩提寺に行って話を聞くと「最近は似非坊主がいるから注意したほうが良い、私は修行をしてきた僧侶だが修行もせず真似事をしてるだけの僧侶が増えてる」と言われたらしい。
「ご住職はどのくらい修行されたのですか?」と尋ねると「半年間」の言葉、世の中に半年や1年で1人前になれる仕事なんてねぇだろ! と呆れ断ってきたから「代表、住職もお願いします」と言われたが、その通りで1年2年で1人前になる仕事などない。
というか1年2年で人間性の本質は変えられない、石の上にも3年と言うが経験則で言わせて貰うと人に施行をしてた7年間を経験した後に視界が開け、70才を迎える頃には物欲も減り、ようやく慈悲や慈愛の心が備わり始めた気がします。
納得できない葬式は受けない
人の死は金の有る無しに関係なく訪れ、病院や施設で費用が散々掛かった挙句の逝去なら、高額な葬式は死活問題であり、残る家族の生活より大事な葬式など在ってはならんの思いで設立したのだから、その姿勢と使命を曲げてはならず曲げたら葬儀屋でしかない。
葬式施行は自分達で行えば王道の商道を歩け、慈悲の心ある住職や僧侶と出逢えれば仏教信仰の人でも超低料金で葬式が出来る――、この目標達成には10年近くを費やしましたが、その時間の多くは当支援センターが葬儀屋では無いと認めて貰う為の時間でした。
もし菩提寺の葬式を受けない事で存続できないとしたら、思う以上に日本人は仏教信仰が強いか、葬式に対する考え方が僕の思い違いだから撤退すれば良いだけの事です。
菩提寺の代わりは全て行う
2年間の猶予を経て菩提寺の葬式希望者は脱会、当初想定より脱会者は少なく残り5,000名ほどの会員数は減ることなく存続、余分な神経を宗教者に使わなくて済み楽になった。
大半は仏教信仰者ではない為、意味不明な読経より「お別れの時間優先」読経は15分で依頼する事で、葬式後の火葬前に故人や家族との写真撮影時間も確保できる。
戒名は居士大姉ですが、故人の人となりを我々が家族から聞いてFAX送信して授かる戒名なので、家族も納得され使用する文字の意味も書いてくれます。
会員は追善法要、盆法要、当方永代供養墓も低価格で利用できるので、寄付を強要される菩提寺が無くても全く問題無く、墓参に行けなくなったら墓から出して手元供養したり散骨もできます。
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