自分は幸せ? 不幸せ?
生まれて数カ月で祖父母に育てられいた5才のある晩、祖母と風呂に入っていると知らない小母さんが女の子と手を繋ぎ、背中に赤ちゃんを背負って「お世話になります」と、お婆ちゃんに言ってた翌日、廊下の雑巾がけをしているから、仲良くなったお姉ちゃんに聞いた。
僕「お姉ちゃん、あの小母さん誰?」
姉「お前のお母さんだよ」
僕「お母さんって?」
姉「お前を産んでくれた人だよ」
僕「僕を産んでくれた人? ふーん、そうなんだぁ」
その日から家業倒産する15才までの10年間は、坊ちゃん育ちと言えるほど他人様より豊かな生活でしたが、母親とは何処かぎこちなかったし、母親からは祖父母の悪口を時々聞かされ、その中で一番多く聞かされたのは僕を手放した話題でした。
祖父母から跡継ぎの孫が見たいからと息子(父親)に連れて行ったきり返してくれなかった――、という内容、この話し皆さんが僕の立場なら納得しますか?
僕は『はぁ? 祖父母の所に行って「息子を返してください」って言わないの?』って思ったし、祖父母の悪口を言う母親は好きじゃ無かった。
倒産後は「祖父母と僕」「母親と姉妹」に別れた生活でしたが、高校の授業料、小遣いなど母親から貰った記憶は無いから、母親も祖父母をひいきする僕を好きになれなかったのでしょう。
親戚が集まるのは葬式、倒産から十数年は酒が入ると父親の悪口を聞かされてばかりで嫌な思いをしましたが、父親の姉である叔母達は「お前は苦労してきたから、、」と労ってくれました。
あなたの人生は波風立たつことなくずっと凪でしたか、晴れの日もあれば、曇りや雨の日、時には嵐の日もあったろうし、それなりに波乱もあったのではありませんか?
嬉しい日、悲しい日、辛い日、忙しい日、退屈な日、健康な日、病気の日、いろんな日があって生きてきた人生、失敗は数えきれないほどしてきた人生でしたが、70才の今もこうして働き、頼られ、生き甲斐のある人生こそが僕の幸せです。
周囲の印象と自分の気持ち
叔母達や周囲は「苦労」と言いましたが、僕自身は苦労した記憶も無ければ、金がなければ稼ぐのは当然、それに稼げる心身の健康もあるし、金を稼ぐ大変さや、仕事の喜びも学生時代から学べたから、平凡な家庭で育つより社会勉強もできました。
人生で苦労した経験はなく、どちらかと言えばポジティブ思考の人間ですが、こんな僕でも何度か落ち込んだ事があり、その度にしてきた事があります。
病室の窓に明かりが灯る時間になったら大きな総合病院の近くに行き、顔を上げると全ての病室は明るいけど、その明かりの下には明日をも知れない人達がいたり、退院の目途さえ立たない人達もいる。けど俺は普通に動けて働ける身体と普通に考えられる心もある。
入院してる患者さん達には申し訳ないけど、自分は恵まれてる――、あとは自分の気持ち次第だと思うと元気になる経験は何度もしてきました。
幸せ? 不幸せ? は自分次第
あなたにとって幸せってなんですか? 「金ですか」「地位ですか」「名誉ですか」どんな価値観も間違いではないし当然だと思いますけど、僕は50才を過ぎてから『幸せの価値観』が変わった。
糖尿病と脂肪肝は完治しないから仲良く付き合いながら、日々楽しく、生き甲斐を持って、誰かに必要とされながら今日を生きて明日に繋げる人生を生きたい、出来れば生涯現役で葬儀支援活動を全うしたいとの思いが70才を迎えてより強くなりました。
もうひとつ、嫁さん、子供達、千明など周囲の人達と楽しい時間を過ごしたいとも思います。僕の幸せは大それた事でなく、笑って過ごせる人生のような気がします。
自分の幸せを考えてみませんか
「はい」と答えた人は今まで通りの人生を歩めば良いと思う。
2025年現在の僕も「はい」と答えられる人間のひとりになりましたが、70年の過去を振り返るといつも「はい」と答えらた訳ではなく、卑屈になったり、自暴自棄になったり、迷走したり、失敗したりと暗中模索してた時期のほうが多かったと思う。
過去の人生をどう捉えるか
5才まで母親の存在を知りませんでしたが、両親の存在を知らずに大人になった人は沢山いるはず、15才で家業倒産を経験しましたが、家業倒産経験者はいくらでもいるはず、頼れる人のない生活でしたが同様の人達はいくらでもいるのです。
波風の無い順風満帆の人生で無かったのはマイナスでしょうか? いいえ、そうではありません。
例えば、一度も病気をせず大人になった人は健康なまま生き続けられますか? 火傷、怪我をした事の無い人は一生怪我をしませんか? 貧乏した事の無い人は一生裕福と言い切れますか?
コメント