スピリチュアル

スピリチュアル

もともと霊感は強い

霊感の話しをすると100%の確立で「私に何かいてますか?」と聞かれるのと、皆さんが思う霊感が強い人は「霊が見えたり話が出来る人」では? 実際霊感はいくつものパターンがあり、何も感じない人に説明しても理解できるはずもなく面倒なので口にしません。

小さい頃は色んな現象を恐がり、自分が特別とか霊感があるなど思ってもいませんでしたが、友人の付き添いで霊感相談に行った横浜で初めて言われました。

机を挟んで座ると隣の友人と話す前に「ところで貴方はちょっと修行すれば除霊できるくらいの霊感があるはず、霊は頼ってくるけど全てはじき返してるね」と言われた。

言われた意味は分かりませんでしたが、誰か複数の人達に守られてる感覚は、子供の頃から確かにありましたけど、祖父母から「ご先祖様が守ってくれてるんだよ」と聞かされてたので、だとすれば友人達も含め誰でも同じだと思ってました。

霊感ってなんでしょう

多くの皆さんは『霊感のある人』=『霊が見える人』だと思っていませんか!? 間違ってはいないけど正解とは思えず、霊感には色々なパターンがありそうです。

霊によってはハッキリ写真に写るので「霊」は存在します。斎場火葬炉付近が撮影禁止なのは、霊らしきものが写ったら騒ぎになるからではないでしょうか。

先日も僕がシャッターを切った写真だけボカシたような部分があり、家族がシャッターを押した写真にボカシはないけど、ボカシ=霊とは限りませんから、明確に分かる映像限定の話、ただカラーでなく霊だけが青白写真なので千明に見せると削除してきました。

テレビ等で霊と話しができる霊能者もおられるようですけど、僕も家族も霊は見えても話した経験は無いので、我々より霊感が強いのか、話せる事も一種のパターンなのか分かりません。

「墓」と「霊」は一対のように言われるけど「墓」で霊を見たことも感じた事もありません。火葬は「灯油」「ガス」が多く斎場事情で異なりますが、900℃~1100℃ですから燃えカスの焼骨に霊が宿ると考えるには無理があります。

話のついでに言うと火葬場には低い煙突が今もありますが周囲から見えない造り、火葬の煙を再度燃焼させる事でダイオキシンを減らしたり煙の出ない装置に進化してます。

「墓」に対する個人的な見解を言えば、墓は焼骨を安置する場所ではありますが、それ以上でも、それ以下でも無く墓に霊がいるとは思えません。「墓」について僕と同じ発言をする霊能者がおられたら、その人は信用できる気がします。

霊感は人によって違う(息子)

我が家は僕、嫁さん、息子も霊感があるようですが、娘の霊感は聞いた事がありません。

嫁さんは「顔」だけが見え、息子は気になる場所をジッと眺めていると徐々に人の形になるそうで、彼が小学生で近所のお爺ちゃんが亡くなった時、学校から帰ってきた息子は人が集まってるのを見ると「何してるの?」と言いました。

嫁さん「お爺ちゃんが亡くなったんだよ」
息 子「何処のお爺ちゃん?」
嫁さん「この家の爺ちゃん」
息 子「でも、お爺ちゃんそこにいるじゃん」
大人達「えッ!?・・・・・」

それ以来、彼は何か見えたり感じても、その場で口にする事はなく暫くしてから「あの時さぁ・・・」と言うようになり今も同様の言動を続けてます。

もし僕に何かあり千明ちぎらを補佐しなければ成らない状況が発生した場合、霊感が障害にならないかと2年現場を手伝わせましたが支援活動に支障は無さそうでした。

彼の夢はメンズ中心の美容室経営なので、その後は本職の美容師として働き、2024年秋にオープンしてからは顧客にも恵まれてるようで毎日忙しく過ごしてます。

そんな息子が葬儀支援に携わってた時期に息子を突然亡くした老夫婦がいて、当時から癌を患ってた父親(爺ちゃん)も翌年亡くなった数年後、あんしん館で法要を済ませた婆ちゃんの後ろ姿を、ときたま来た息子が見たようです。

息子「さっき帰った婆ちゃんって息子さんが突然死した人だよね」
千明「うん、そうだよ」
息子「爺ちゃんもいたけど、爺ちゃんは生きてるよね?」
千明「あぁ、お爺ちゃんは癌で亡くなったのよ」
息子「そうなんだぁ、だから違和感があったんだな」
千明「違和感って!?」
息子「婆ちゃんの後ろを歩いてたけど何となくね」
千明「う、嘘・・・・」

安中市の寺墓で土中に埋めた2つの骨壺を散骨する依頼を受けた際、石屋だと重機レンタル等で10万円ほど掛かる事から、費用を抑えようと息子にスコップで手掘りさせた。

土中は地震などで動いてますから、埋めた場所から傾斜に沿って1mほどの場所に検討をつけ指示すると50cmほど掘った所で見つけたそうです。

もう1つも近くにあるだろうと掘り始めると耳元で「反対側のもっと下」との声が聞こえ、驚いて横に飛び退いたら足首を捻挫、聞こえた場所を掘ったらすぐに見つかったようです。そう言えば息子は僕の母親の時もそうでしたから声を聞くこともあるけど会話はしません。

霊感は人によって違う(嫁さん)

嫁さんが職場で一番仲の良かった人が亡くなった時、経営する美容室の顧客でもあり、おしゃれな人でしたし、ゆっくりお別れもしたいだろうから死化粧してあげようか? と提案、息子も小さい時から面倒を看て貰った人でしたから一緒に行きたいと着いてきました。

高崎の自宅に着くと娘さん2人が出迎えてくれ、死化粧がしてなければしようか? と尋ねると、是非お願いしますと故人が安置されてる部屋に案内されました。

狭くて薄暗い部屋でスタンドの蛍光灯を照らして貰いながら死化粧をしていると、足元近くに座ってた嫁さんと息子がコソコソ話してるので化粧の手は止めず聞きます。

武 井「もしかして〇〇さんがいるの?」
嫁息子「うん、足元に座ってるよ」
武 井「そっか、で、どんな顔してるの?」
嫁さん「笑顔、、ニコニコしてるよ」
武 井「そっか、ならいいよ」

その言葉に娘さん達は驚いたと言ってました。葬式は嫁さんだけ参列したので「〇〇さん式場の何処かにいた?」と聞くと「うん、祭壇の花の中に顔が見えたよ」と言ってましたので、嫁さんの話しからすると見える時は「顔だけ」のようです。

嫁さんの父親は我が家に同居しており、1階の爺ちゃんの部屋と2階の夫婦の寝室はいつでも連絡できるよう室内電話で繋がってますけど、爺ちゃん逝去後1階の部屋は誰も使ってません。

でも亡くなってからも何度か2階の電話が鳴ったり、後ろから嫁さんが名前を呼ばれた事が何度かあったようでしたが、最近は聞かないから自宅に爺ちゃんはいないのかも、、

霊感は人によって違う(僕の場合)

10年以上前の事、ビルから飛び降りて自死した若者を警察署の冷蔵庫から出して棺に納め、自宅に安置してからの打合せ、家が狭く棺の横で話していると突然、真っ白のネズミがカクッ、カクッと高速で動いて棺の下に入っていきました。

千明「どうしたんですか?」家族達も頷いてます。
武井「白いネズミが棺の下に入ったじゃん」
千明「ネズミなんて見てないですよ、ねぇ?」
家族「はい、、」
千明「代表の首がカクカクしてたから、どうかしたのかと思って、、」

虫とか嫌いなので棺の下を覗きましたが何もおらず、家族も不思議そうな顔なので打合せに戻りましたが、白いネズミ or 白い光が棺の下の空間に入っていくのが見えたのです。

僕には霊の姿や霊の顔は見えず高速で動く光の玉? のように見えるのですが、それより多いのが近未来に発生する出来事への事前対処、寝てませんし映像が見える訳でもなく、無意識に近い状態だけど予知夢のようなものでしょうか(精神的な問題はありません)

そのお蔭で1日に5件の搬送や数か所の斎場利用でも2人だけで支障なく完了したり、我々の身体が空くまで逝去を待ってくれてたのだろうか? と思う事は日常茶飯事、また片道2時間のような遠方への搬送途中の搬送依頼は不思議と一度もありません。

千明から「こうなると分ってたんですか!?」と良く言われるけど、例え1分後でも未来など分かるはずもなく単なる偶然、ただその回数が他人様より多いだけだと思いますが「時々ゾクッとする」と千明には言われるので不思議な印象があるのでしょう。

家族だけが見舞いできた

いくつも例はあるけど、造り話しのできない千明の家の例を話すと、NPO法人設立翌年の10月始め、母親から電話で「うん分かった、ならそうする」と言った千明、普段なら電話内容など確認しないのに「何の電話だったの?」と聞いてる自分がいました。

事前相談に来た従兄の父親の見舞い行く予定だったが、実家の都合で日曜日に行く事にしたから、前橋の千明と高崎の弟で行って来るよう伝える電話だったそうです。

武井「そうなんだ、従兄いとこって事前相談に来た彼?」
千明「はぃ、そうです」

この会話から5分後くらいだそうですが「今から迎えに行くから見舞いに行ける準備をしておくよう連絡して」と僕が言ったそうです。他人事ひとごとのようですが今もその発言をした記憶はなく、迎えに行ったのは事実だから「瞬間的な記憶喪失?」

午後4時頃、前橋を出発して90分、自宅で母親を乗せ40分の距離を戻って午後7時前には病院で見舞い、病院を出たのは午後7時30分頃、個室ファミレスで夕食を済ませてから自宅に送り届け前橋に戻ると午後10時過ぎだったと思う。

翌日の正午頃「たった今息を引き取った」と昨日の従兄から電話、当時施行依頼してた葬儀屋に連絡、他の親戚は日曜日の見舞い予定で千明の家族以外は逢えなかったそうです。

この時も千明と家族から「何で分かったんですか?」と言われましたが、人の生死の未来など分かるはずもなく、自分の意思で出来る訳でもありませんから「偶然」「ときたま」なのですが、そんな偶然が何回もあると周囲からも言われるから「・・・・」です。

初めて見る写真に感じたもの

逝去前日夜の見舞いに母親達を乗せて行きましたが、僕は他人で事前相談で一度逢っただけなので、見舞いは遠慮するつもりで到着すると息子が1階待合所で待ってました。

家族達が息子に案内され病室に向かう際「良かったら写真でも見ててください」と彼の家族らしき人達の写真アルバムを置いて行ったので何気なく見てました。

父親の写真は沢山ありますが母親は結婚式の写真しかなく、幼少期の彼と写ってる写真もありませんから、早い段階で亡くなってるであろう事は推測できます。

事前相談で聞いた父親の印象は周囲から良く言われない人? そんな父親を擁護する彼の発言が思い出され、憶測だけど母親は息子を産んだ直後に他界、息子の母親である嫁さんを亡くした父親が息子を育てるのは大変だった事から、田舎も総合病院が必要と東奔西走とうほんせいそうした人です。

父親の性格は息子も承知しており納得してたのでしょうが、嫁さんの死を無駄にせず地域の人達に同じ思いをさせたくないと、総合病院の設置を呼びかける言動をし続けた人だとしたら、息子にすれば尊敬に値する父親だろうと思えるのです。

当時は一般葬が多く火葬中の食事テーブルに家族目線で故人への想いを綴った「故人を偲ぶ(注1)」の用紙を置いてた事もあり、故人を偲ぶを書く参考資料に成るかもしれないと、憶測ながら息子目線で父親への想いをノートに書いておきました。

故人を偲ぶ

(注1)A4サイズ紙に生前の故人について、故人への想い、写真を添え火葬中の食事の席に置くことで、故人の事を話題にしてくれたら家族の心も癒え、家族の心が癒えれば故人への供養にも成ってくれます。

葬式で息子が読んだのは

葬式前日、息子さんから「代表、葬式の挨拶で読みたいものがあるんですけど」と言われたので、全然構わないけど参考になるかもしれないと病院で書いたものを見せると泣き出しました。

武井「どうしたの?」
息子「これ俺が書いたものと全く同じ内容です」
武井「えッ、本当!?」
息子「はぃ、これです。文章力は違うけど内容は一緒だから見てください」

読んでみると内容は殆ど一緒、写真からの憶測は間違って無かったのです。本来は食事の席に置くだけですが、葬式挨拶で息子が読んだのは僕の書いた文章でした。

自分を産んだ直後に逝去した嫁、母親の温もりを知らない不憫ふびんな息子、もし医療体制が充実してたら死ぬことは無かったかもしれないと考えた父親の想いを伝える文章を読み進めると、当時を知る親戚や近所の人達からの嗚咽おえつの声が大きくなったほどです。

これをスピリチュアルと呼ぶかも疑問だし、たった1枚の写真からの憶測と息子の父親に対する思いや心境が的中、それだけの事『故人を偲ぶ』の用紙には父親は羽織袴、母親は文欽高島田にぶんきんたかしまだ大振り袖の花嫁姿、時代を感じさせるモノクロ夫婦めおと写真と文章を食事の席に置きました。

散骨場は彼の父親が残した遺産

千明の従兄の父親の葬式は、近い将来必要となる山林散骨場の取得に繋がったのです。

葬式も済んで少し経つと「この山林良かったら使ってください」と山の公図と権利証を持って来館、意味が分からず聞き返すと、事前相談の時「近い将来散骨場が絶対必要になる」と言ったらしいのですが全く覚えていませんでした。

当時は経営してた美容室の裏側入口から、薄暗い鉄の階段を上った2階事務所にある社長室の応接で相談を受けており、階段横の壁には大きな稲穂の絵は今も書いてあるので、初めて来た人はヤバイ所!? と思われても不思議ではないでしょう。

この絵は幼少期からの祖父母教えの中で一番苦手とする『実るほど首をこうべ垂れる稲穂かな』を忘れないよう毎日上り下りする階段に書いて貰ったもの、しかし人によっては全国的に反社の紋章と勘違いされるような壁画に気付いた人もいたでしょう。

その上、話す内容が余りに現実離れしてるから余計に怪しく、現状の葬儀屋と寺を否定すればするほど「そんな葬儀屋は見た事も聞いた事もなく絶対に怪しい」従兄である(千明)は僕に洗脳されてるか、脅されてるに違いないと思ったそうです。

ところが父親の葬式になると言ってた事は本当だと分り、自分の狭い了見と価値観と思い込みで疑ってた事が恥ずかしくなったそうで、疑った謝罪と相続した使い物にならない山林が弱者支援の役に立つならと考えてくれたようです。

3年ほど無償で使わせて頂きましたが、散骨した家族目線で考えると10年後は使えませんでは問題ですから相場より高く購入2度の土地種目変更で10年掛かり名義変更完了、但し地元の人達にとって散骨場は気分の良いものでは無いので公言はしていません。

将来の糧を与えられる人生

千明の叔父が山林所有など知るはずもなく、散骨場の必要性を初めて逢った人の事前相談で語ったのも不思議だけど結果は散骨場の取得に繋がったのは幸運でした。

そう考えると可哀相と言われる経験だったとしても、結果としてその経験が活きる人生、それが必要な人生を過ごす、表現方法が分かりませんけど『幼少期から先に恵まれた人生』です。

生後数カ月で祖父母に引き取られ5才で母親の存在を知り、15才で家業倒産で父親蒸発、親子一緒に過ごしたのは5才~15才の10年のみは波乱万丈と言えるでしょう。

でも生後数カ月から商才に長けた祖母に育てられ、後継ぎとしての「帝王学」から始まり、商人に大事なのは「金」でなく「信用」と「思い遣り」さらに「自分より弱い人に慈愛の心で優しくあれ」との教えは様々な場面で活きてます。

15才で親から離れ、人生は自身で切り拓くものと強制的に経験、幼少期からの祖父母の教えが無かったら葬儀支援の道を見つける事さえ出来なかったでしょうから、将来を生きる為の準備は平穏な道を歩いてきた人より生きる知恵は学べたはずです。

母親との縁が一番薄い

これもスピルチュアル精神的なもののひとつだと思うけど『三つ子の魂百まで(3才までに形成された性格は100才まで変わらない)』の科学的評価は分かりませんが僕には真実に思えます。

皆さんは「祖父母から孫を見たいと言われた父親が連れて行ったきり返してくれなかった」と母親に言われたら納得するでしょうか? 僕には納得できませんでした。

普通なら当日、もし数日間帰って来ないとか旦那が連れ帰って来ないとしたら、祖父母のところへ行き「返してください」と言わないのでしょうか。

そんな母親から祖母の悪口を聞かされても同調できず、母親が祖父母の悪口を言う度、祖父母の肩を持つ発言をし続けてたから『坊主にくけりゃ袈裟けさまで憎い』ですかね。

小学5年生の時、テレビに掛けられた幕の下に隠してあった父親の戸籍謄本を見つけると、入籍は僕が生れる直前、出産後の入籍なら養子縁組、それを避ける為の入籍から姉は異父姉弟と知りましたが、姉に伝えても良い事はないから姉が自分で知るまで黙ってました。

憶測でしか無いけど母親にとって望んで生まれた子では無かった!? と思ったのは卑屈ひくつな発想と思いつつも祖父母の悪口を聞かされる度、僕の心は母親から離れた気がします。

家も土地も全て失い母親と姉妹、祖父母と僕に分散、我々は長屋風の公営住宅でしたが、世間知らずの僕は老いた祖父が僕の生活費や学費を稼ぐのが大変な事さえ理解できない馬鹿孫、自分の小遣いをキャバレーで稼いでるだけで良い気になってました。

祖父母への後悔は姉の死で気づく

祖母は認知症で自宅療養した後逝去、最後は孫の僕も分かりませんでしたが1つ学んだ事があって、認知症とは辛い事を全て忘れさせてくれる終幕期の特効薬かもしれないこと、その数年後に祖父は癌で亡くなると本当に帰る場所が無くなりました。

祖母と祖父もこじんまりとした葬式でもそんな事はどうでも良いこと、さすがの馬鹿孫も祖父母を亡くして初めて自分の中に湧いた後悔に気付かされたのです。

やり直せるなら『後悔』など湧かない、やり直せないからの後悔なんです。祖父母を亡くした当時も感じてはいましたが、本当の意味で後悔を知ったのは姉が逝ったときでした。姉の話しは別の機会に書くかもしれませんが姉への後悔が消える事がありません。

もし祖父母の終幕期に今の僕が存在して馬鹿孫を卒業してたら、食べたい物を食べさせたい、行きたい場所に連れていきたい、したい事させてあげたい、とにかく元気な余命期間に少しでも孝行の真似事をしたいと思う自分にようやく気付いたのです。

大事なのは死後の葬式でなく、生きてる時をどう過ごすかなんだ!と言うのは、全て自分の経験則から得た僕なりの結論、しかし葬式の実態は豪華、盛大、見栄、世間体を餌にした葬儀屋と寺の儲けだけを最優先した戯言ばかり、ならそんな行為は全て排除すれば良い。

だから直葬系の葬式支援を大前提に進めてきた訳ですけど、厚い信仰を持っている家族、信仰心はないけど僧侶が送ってくれると信じてる家族、どちらもでも無いけど昔からの風習が良いと思う家族もいると知り、超低価格の家族葬を創る事も葬儀支援と分かってきた。

生きる道は自分で選ぶ、なら終幕も自分で選ぶ

頼れる人が居なくなって初めて『人生は与えられるものでなく自分で切り拓くもの』単身蒸発した父親、縁の薄かった実母の両親が反面教師として教えてくれた事です。

世間を経験させ自立心を養う「可愛い子には旅をさせよ」、我が子に試練を与え苦境にも屈しない強さを身に付ける「獅子は我が子を千尋のせんじん谷に落とす」を強制的に経験させられた事は、後の人生に於いて大きな財産となってると思う。

亡くなった叔母達からは「お前は苦労したから」と言われましたが、苦労した記憶は無く、他の人生は知りませんから当然でしかありません。他人様からは波乱万丈の人生とも言われますが、順風満帆のじゅんぷうまんぱん人生だけを生きた人がどれだけいるでしょうか。

叔母達の意見は後を継ぐ商売が無くなった僕への哀れみ、確かに後を継ぐ商売は無くなったけど、考え方を変えれば何でも自由にできる環境になったとも言えるんです。

倒産前日の夜に蒸発した弱い父親でしたが、彼は彼なりに精一杯頑張った結果だったはず、だから一度たりとも恨みつらみの念が湧かなかったんだと思う。

父親の最後を聞かせて貰い終幕の在り方のひとつを知ったに過ぎません。何が良いか、どうしたいかは人それぞれなんだけど、経済的な事情で出来ない人もいるんです。

初めは余裕の無い人達でも抵抗なく直葬ができる時代にすれば良いと思ってましたが、日本に根付いた仏教の葬式で終幕を迎えたい人達がいて、経済的に叶えられない人達がいると分ってからは、直葬の全国平均費用で宗教者費用を含む家族葬の実現が最終目的となりました。

祖父母の教えである商人に大事なのは「お金」でなく「思い遣りの心」と「自分より弱い人に優ししく成れる慈愛の心を持て」と話してくれた当時の祖父母より年上になった自分がいて、改めて人として祖父母の偉大さを実感しています。

そして健康面

流れの良さ、周囲の協力など様々要素が相まって今があるのは間違いありませんが、それ以前に支援活動できる心身の健康が無ければ全て絵に描いた餅でしかありません。

7年前の6月、毎年健康診断してる総合病院で胃カメラ検査だけ10月になると言われ、予約をせず戻ると当方会員さんが教えてくれたのは消化器系専門の病院、検査したのは結局10月、僕の希望で鼻からの胃カメラでしたが日々カメラを覗く専門家の診断を受けられたのです。

担当医によると癌細胞の確立は五分五分、2週間後の結果は細胞レベル5の奇形細胞で癌との診断、鼻からの胃カメラは良く見えないらしく口からの胃カメラで再検査するが、ESD内視鏡治療(注2)の予約を入れておくか確認されました。

ESD治療
ESDEndoscopic Submucosal Dissection)

(注2)ESD治療とは、まず胃カメラでがんの周辺と病変下部に、がんを浮きあがらせるために、生理食塩水やヒアルロン酸ナトリウムの注射を行います。癌が十分に浮き上がった後、がんの周りを電気メスで少しずつ切除します。その後、がんの取り残しがないように粘膜下層をはぎ取り剥離します。施術中は意識もなく気付いた時は終わってました

内視鏡治療できる日を確認すると偶然にも11月26日(僕の誕生日)との事、再度胃カメラで検査するとステージゼロの胃癌と言われ、普通は1時間ほどだそうですが若い頃の胃潰瘍で胃壁が硬くなっており3時間ほど掛かって直径4cmの円形に切除しました。

64才の誕生日プレゼントは胃癌摘出で「健康」を貰うことになりました。

開腹手術に至らずESD治療8日間で退院、その後は6カ月毎の検査を5年、再発も無く年1度の胃カメラ検査へと変更、もし6年前いつもの総合病院で胃カメラを受けてたら、ステージ0の胃癌が発見出来たでしょうか? 発見されない可能性も高いのです。

勝手な解釈だけど『まだ逝ってはならん。葬儀支援を続けなさい』と天に言われてるような気分、そもそも毎年の健康診断を受けるきっかけは、詳細は忘れましたが泌尿器科で血液検査され肝機能の数値であるγGTP380U/l、日赤病院を紹介された事。

日赤病院に行くと血液検査、肝機能の数値が悪いのか訊ねると「その前に血糖値が400mg/dL弱は高過ぎる」と言われた事、どちらも「いつ倒れても不思議じゃない」と言われましたが、倒れる前に検査と治療、定期健診というラッキーな流れでした。

「運が良いだけ」とも言えますが、運の良し悪しも自分でコントロールできるものではありませんし、人生は起こった現象の捉え方次第、癌の発症を不運と思うか、早期発見を幸運と思うか、日々の出来事の捉えかた次第で人生そのものが変化する気もします。

前向きな人間に幸運が訪れ、否定的な人は不運が訪れるとしたら、それもスピリチュアル的な思考なので科学では説明できません。

僕の人生で例えるなら、70才の老人が365日・24時間対応でも低報酬な事業を続ける人間を悲惨・哀れと思うか生き甲斐を感じるか、僕は後者的発想ですがあなたはどうですか?

スピリチュアルは己が進む道を示してくれてる

特定の信仰心はありませんが、人生を振り返ると科学では説明のつかないスピリチュアル的な要素で導かれたり、教えられたり、経験させられて今の自分がいますから、もしかしたらきっかけは全ての人に平等に与えられてるのかもしれません。

経験則で言えば、きっかけの多くは決して良い状況では無かったですから、奮起剤にするか自死剤にするかは全て己次第、あ、ひとつだけ言えるのは『類は友を呼ぶ』ネガティブな発想をする人達は気付けば周囲からいなくなってます。

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