自分は僧侶です
設立数年後、物腰の柔らかい初老の男性が入会に来られ、母親の葬式(ぱっく60プラン)が済むと再入会、その数年後に自身の終幕は遠くないと改めて打ち合わせに来れた時「実は私は僧侶です」と初めて言われたので、なぜ当支援センターに来られたのか訊ねました。
宗派は確認してませんけど長年仏教界で生きて来られたそうですが、建前や世間の認識と違い現実は「金」と「権力」の世界に嫌気がさして最近仏教界を去ったと言ってました。
公務員を始め上からの命令は絶対の世界で生きた経験のある人も多いでしょう。それが嫌な人は自分で起業するしかなく僕もそのひとりです。
最近でも天台宗の住職が14年間尼僧に対し性的暴力を行って罷免されましたが、関わった大阿闍梨はお咎めなし――、これが「権力」と「世間体」ただ仏教だけでなく、キリスト教でも男児への性愛や殺戮の歴史もあるので「人」は人であって神には成れないのでしょう。
当支援センターも半信半疑だったそうですが、母親の葬式をすると最終支払いや考え方も含め、全て事前相談で聞かされた通りだった事に納得されたそうで、僧侶の自分が聞いても納得できる言動と実態、建前の仏教界とは雲泥の差だと言ってました。
だから組織は造らない
最高峰の総理大臣でさえ10万円の金を配るのが当たり前のような感覚なのは、ニュース記事を見れば分かる通り、起業した35年前には政治家が金をばら撒くのは当たり前の話も、地元私設秘書のような役割の人から聞いた事があります。
その辺りの感覚は政界に限らず様々な業界の通例で仏教界も同様のようでしたが、これは政界、法人問わず『組織』を造れば必ず発生する副作用です。
米を作る人は米を作り、魚を獲る人、大工、など自分の出来る事は提供し、生活に必要な物は生産者から受け、全員が平等の世の中を原始共産制と言い賛同する人は多いけど、中国・ロシア・北朝鮮を始めとした共産主義国家は独裁者国家となっている。
きっと人類が誕生した当時は共存しかない原始共産制の世の中だったでしょうが、強者が弱者を支配するようになると組織が誕生して上下関係が発生、日本に於いては「金」「権力」による組織化が当然になっているのは誰もが知る通りです。
組織は個々の能力を専門的に発揮できるメリットと同時に上下関係を生み出し平等では無くなる副作用があり、権力は弱者を苦しめる武器にもなりますから、弱者支援を謳うなら組織化せず企業化すべきではないの思いから企業規模は大きくしないと決めました。
葬儀社勤務の人達にもジレンマがあるだろう
17年前までは「葬儀屋はどんな人がする仕事だろう?」と若干偏見を持ってました。2025年の今、世間の人達が葬儀屋をどう思ってるか分かりませんけど、家族の心に寄り添い『気高く崇高にも成れば』他人の死を利用した『金の亡者にも成りうる』職業です。
国民を始めとした市民や弱者の為に働くべき「政治家」、目の前の患者を救う事を何より優先すべき「医者」人生を生きる指針を伝え自らも実践すべき「宗教者」同様、家族の死で落ち込む家族の心に寄り添い温かく送り残る家族の生活を守るべき「葬儀屋」であるべきです。
普通の感覚で言えば好んで葬儀屋に成りたい人は極少数派、死体を見たい人はおらず、他人の死体に触れるのは勘弁が普通の感覚にも関わらず、葬儀屋を選択するのは家族の死を経験した人が医師を目指すように、人生経験の中で思うところがあってではないでしょうか!?
ところが葬儀社の内情は利益最優先で、施行額を吊り上げた人が褒められ、家族を優先して費用を抑えた人が罵倒され、家族を騙すような営業も辞さない現実に幻滅した人もいるでしょう。
幻滅した人なら葬儀支援はできるはず
無知な家族を騙し誘導して金を巻き上げ、家族に不利益をもたらす確率の上がる組織では意味が無い、葬儀支援は1名では無理、されど4名になると料金に跳ね返る事から2~3名限定なのが17年間続けた葬儀支援という道のような気がしてます。
葬儀屋でなく葬儀支援を目指すなら企業化、巨大化は求めず、対象者が望む内容と費用が実現できて、その判断と決定ができる規模でなければ施行数を重ねるほど軌道から外れます。
僕には「葬儀支援センター」の仲間を増やす能力はありませんでしたが、何百回と考えても日本に僕らだけの感覚とは思えず、何処かに同じような考え方をする人達がいるはず、ただきっかけが無かったり、立ち上がり方が分からないだけなんだと思う。
幸いにも17年間で蓄積した潰れない支援活動ノウハウと、多くの人達が羨ましがる未来予測の発想方法ノウハウはありますから、現役でいられる間に伝えられる人が現れて欲しいものです。
全ての出発は「自分なら」
事業に失敗した人達を沢山見てきましたが、繁盛させられない人、失敗する人は『目線』の認識の間違いと驕りと引く事を知らない結果、勝ち戦だけの人生などあり得ません。
「食」「趣味」「好きなタイプ」「仕事」どれをとっても千差万別、僕に弱者心理が分かるのは、稼業倒産以降は弱者人生だったから、逆を言えば富裕層の心理は分かりませんので、富裕層相手の事業は何をどして良いか分かりません。
簡単に言えば、僕自身が本音で思う葬式への疑問、違和感は似たような水準の人達と同じだから、その思いをひとつ、ひとつ実現させれば同水準の人達の賛同は得られ、直上直下の人達なら直接話を聞けば対応できる範囲、それ以上離れた人達の事は分からないとも言える。
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