企業は人なり

生き方

適材適所の前に適職ありき

経営の神様と言われた松下幸之助氏の言葉のひとつ『企業は人なり』って、突き詰めると適材適所って事なのだろうと思うけど、その前段として適職ありきの格言だと思えます。

経営者経験は「あんしんサポート」と前職「美容業」の2つ、起業前は美容室材料を卸す会社の役員で美容室の経営指導をしてたのがきっかけでした。

朝9時前の朝礼から始まり各メーカー対応が終わると担当店の営業に行き、午後7時の閉店後に経営相談、企画会議、講習会等が毎日の日課、帰宅は早くて午前0時~2時、遅い時は午前4時でも朝礼はいつものように始まるから仕事漬けの日々でしてた。

起業のきっかけは夜中の腹痛で緊急入院をさせられた1か月間、仕事柄もあり「一緒に仕事したいですね」との社交辞令は何度となく聞かされ「そうですね」と社交辞令で返してましたが、ある経営者から「有限会社造りました」と言われてた事でした。

1か月は検査入院ですから痛みが取れれば「暇」なので、就寝時間の9時までには戻ると担当医にお願いして設立した法人の仕事が可能かどうか調査すると、現状の体制では厳しいが指揮官がいれば何とかなるかもしれないと思える内情でした。

有限会社設立は300万円掛かる時代でしたから、暫く悩みましたが退院後「退職したい」旨を社長に伝え何度も話し合った結果1年後の退職を了承して貰えました。

月商60万円(年商700万円)からスタートして5年後は事業所5カ所で年商3億円になりましたが、共同経営者と意見が合わず分社、基本理念の違いは続かないと教えられました。

サラリーマンか経営者かの選択

適材適所とは経営者目線、働く側からすると自分の資質が活かせる職業か職種の「適職」を選択が大事なのではないでしょうか。

例えば、服のデザインが好きならアパレル勤務でも可能だけど、特殊な服のデザインだと売れるか分からないから自分で経営するしかない、ラーメン作りが好きで得意ならチェーン店で働けばいいけど、自分だけの味を望むなら経営者になるしかないって事です。

問題はそれ以前に「服のデザイン」「ラーメン作り」という職種の違いがあり、作るならどれも一緒でしょ? って訳にはいかないんです。

独身時代、嫁さんと母親を乗せてデートしたり、嫁さんの弟が高校受験に失敗した時は母親、嫁さんと一緒に学校近くまで迎えに行き、そのまま千葉県の伯母さん宅まで泊まりでいき、近所の人達から「どうした?」攻撃から避難させた事もありました。

ようは誰かの為に動いて、それを喜んでくれる人を見ると損得抜きで嬉しくなる性格はどう考えても、お利口さんではありませんが、それが持って生まれた資質なのでしょう。

偶然の重なりから始まった葬儀支援は、そんな資質に合ってた――、ただそれだけの事でしょうが、自他ともに認める天職だったようです。

365日無休・24時間対応・美容業全盛時代の1割という低報酬、普通に考えたら最悪、極寒の深夜3時に起こされるのは辛いし、徹夜になれば口内炎で痛い思いもするけど、不思議と『嫌』だと思った事がありませんから好きなんだろうと思う。

それは葬儀支援が好きな訳でなく『誰かの為の動いて喜んでくれる事』じゃないかな、もっと言えば葬儀支援は日本で初めて17年前に僕らが始めた事、だから前例や慣習はなく全てオリジナルで考える必要があったけど、大変だと思うか、好きにできると思うかの違いでしょう。

それが僕らにとって楽しいと思えたから条件は最悪でも楽しいと思えたんだと思う。役者が好きで小役でもバイトしながら続けてる人、同様に音楽、お笑い、絵画、工芸など様々な人達がいるのと同様なのが「あんしんサポート葬儀支援センター」なんだと思う。

従業員か仲間か

会社は自分達の物でスタッフは従業員なのだからと主張する相方、サラリーマン経験しかない僕は、その発想をする社長には着いて行けない自分がいるから、任せる以上は仲間と思えなければと主張する僕とは根本的な違いがあったのです。

どちらが良い悪いではありませんが根底の違いを知り分社を決意、経理面も全て自分でしていた事もあって、最後は僕が使い込んでたと思われたようでしたが、実際は自分の給与さえ取れない月も珍しくない状態でした。

スタッフ達から「自分達も頑張るからオーナーが引き受けてください」と言われ、2事業所と借金1億円の株式会社を背負う事になりました。

でも自分達も頑張るからと言ってくれた言葉通り頑張ってくれ予想より早く返済完了、牽引してくれた店長が羽ばたける場を作ってあげたい最後の出店が現在のあんしん館です。

わずか50名ほどの社員でも大変でしたから、僕には大勢の社員を抱える経営者能力は無い事、経営で大事なのは売上でなく、得られる売上の中で経営を存続させる手腕、引くべき時は引ける決断力も大事、好きじゃない仕事は楽しく成らない事も教えられました。

僕の本職は企画屋

スーパー業界、美容業界、そして葬儀業界を生きて来れたのは他人様より若干先見性があったお陰、数年先を想定した企画が功を奏してきたからと、サラリーマン時代から近未来予測の企画を許して貰えた環境が先見性を失わずに済んだ理由だと思う。

サラリーマン時代は会社の方針内でしたが、起業後はトレンドを女子高生から、40代に突入する団塊世代が必ず求めるであろうと想定、そこで明るく染まる白髪染めを中心としたカット&カラー時代を予測できた事で地域一番店にも成れました。

ホテル婚礼の全盛期は2軒のホテルで新郎新婦の婚礼美粧を手掛けさせて貰えたり、市長と海外の姉妹都市、友好都市に同行させて貰えたり、地域の名士と呼ばれる方々と知り合えたりと、恵まれた12年間でしたが楽しいと思った事はありませんでした。

経営者として自由な発想で展開できれば楽しい訳で無かった理由を考えると、美容室はパーマ主流の時代が終わり、カラーの時代が来ると伝えても大半の美容師は「???」といった感じで社員全体が同じ方向を向いて歩くことの難しさを思い知りました。

僕の商売理念『我が店はお客の為にあり』これを本当に理解するだけで数年は掛かるようで、理念と我が侭を聞く事との違いを理解して貰うことですら大変でしたが、その点は葬儀支援センターも同様でしたから規模拡大しない判断は容易でした。

必要な人も違う

世間一般では会社を大きく成長させた人達を成功者と呼び、企業を興し成長させ社員と家族を守り、社会貢献する人達は素晴らしいと思います。僕には想像すらできません。

大きな事が出来る能力も資質もありませんけど、現行の高額な葬式に苦しむ人や家族を助ける事なら全力を尽くせば成しえる程度の能力は持ち合わせているようです。

比較するのはおこがましいけど、医者でありながら大きな総合病院に成長させる能力を有した人もいれば、自分の診られる範囲で最上の診療を行い続ける医者がいれば世間は前者を称賛しますが、個人的には後者でありたいと思う自分がいます。

それも企業は人なりのひとつではありませんか? 成長が根底でなく目指す目的毎に必要な人材も違うのではないでしょうか、もっと言えば大手葬儀社はマニュアルに忠実な人材を求めるでしょうが、葬儀支援センターは個々の家族の、その時々に合わせた対応ができる人が必要です。

同じ水の中で生きる魚でも、真水で無ければ生きられない魚、海水で無ければ駄目な魚、その両方で生きる魚(鮎・鮭・鰻など)いますから、経営者であれ、サラリーマンであれ自分の適した環境の中に入ることが最優先、その中だから自分の能力も発揮できると思う。

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