全力投球

生き方

いつでも『全力投球』良い所でもあり、自分で自分を苦しめてると分ってるのが全力投球体質、でも過去の経験則から手を抜いて結果が出せるほど能力はありません。

でも全力投球しても結果が出せない経験は何度もしてきたし、全力投球もせず結果も出せない経験と失敗なら数え切れないほどしてます。

手抜きで結果が出ないのは当然だと思うけど、その間の労力と時間は明らかに無駄、手抜きから学べるものはなく僕の能力では全力投球が絶対条件です。

先見性が障壁になる

僕の中で他者より少し秀でる点があるとしたら『先見性』でも才能がある訳でなく、ちょっと考えれば誰でも分かる程度のものでしかない、それでも未来予測を事実として周囲にも分かるように立証するのは難しく、衝突したり、理解されないのが日常茶飯事です。

先見性を羨ましがる人のほうが多いけど、現実は変人扱いされたり、誹謗中傷されたり、周囲や世間から信用されない期間が何年も続く覚悟が必要、それでも必ずしも良い結果になるとは限らないのが不確実性もある先見性です。

葬儀支援センターを設立した2008年、葬儀屋の人達からは「変な奴が現れた」とか「そんな料金で出来るはずがない絶対に嘘だ」とか、賛同してくれる人達でさえ半信半疑でしたが、それも当然、、最初の目標だった5万円火葬支援パック完成に3年も費やしたのです。

たったひとつの目標でさえ全力投球しながら一進一退の日々、言い方を変えれば、いつ達成するか分からない3年間というか、全力投球して無ければ神経が持たない時間とも言えます。

でもね、1つの目標を達成すると自信が湧き、次の目標のハードルも下がり、要領を覚えるのか全力投球期間も短縮される事が多いようです。

ただ自分で立てた目標を自分で完結出来ないのがサラリーマン、同僚や上司なら説き伏せる事も出来ますけど経営者相手の場合そうはいきません。

社長と衝突

20代半ばで美容業界に入ると異常なバブル時代、10人ほど小さな会社でしたから1年で部長になりましたが、経営会議で社長と正面衝突しました。

「日本の高景気は何十年先まで続く」と自信満々の社長に対し「今の好景気は異常ね絶対に不景気になるから、今から10年のスパンで不景気対策の準備を進めるべき」が僕の主張でしたが、手形を切り月末の集金で繋ぐ経営を変えようとしませんでした。

経営会議で何度も何度も衝突したから面倒に成ったのか「現金商売の販売施設を作る」と言ってくれたので衝突は無くなりましたが、結局は施設を作ることはありませんでした。

相手は社長であり経営者ですから、他の社員に悪影響を及ぼす前に退社、専務も一緒に退社したいと言ってましたが、奥さんの助言で退社を踏み止まったので正直なところ安堵でした。

世界三大バブルと言われた現象も全て崩壊した史実しかない、何で日本だけ好景気が続くと思うのか、僕の主張は予言でなく史実からの教訓、自分の考え方と違う人間がいたら、自分の主張を客観視するチャンスとは思えないのでしょうか。

経営者は確かに大将だけど大将一人では戦い続けられません。ご機嫌を取る部下、イエスマンの部下より、個人的な悪口でなく経営について苦言を呈する部下のほうがリスクを背負いますから、真剣に会社の事を考えているのは間違いありません。

この会社は10年後に存在しておらず倒産後に社長も病死したと聞きました。不景気の先見性なんて外れたほうが良いし、お世話になった会社ですから、存続し続けて欲しかったが本音、でもこの経験は経営者としての反面教師になってくれました。

それが『引き際』です。見通しが外れて継続が困難な店舗があれば深手を負う前に閉鎖するのも経営、ホテルの婚礼美粧室が現状黒字でも、数年後の経営困難が見通せた時は当社、ホテル双方の事を考えて早い段階で撤退するのも経営と教えられました。

35年間倒産することなく存続し続けられたのは、この社長のお蔭かもしれません。前に出て戦うべき時は勇猛果敢に戦い、引くべき時、引かざるを得ない時は迷う事なく迅速に引き、見栄や世間体より存続できる確率の高い手段を取れるのが経営者であると教えられました。

美容室トレンドは団塊世代

30代前半は美容室の経営指導をしてましたが、美容室経営者の大半は女子高生がトレンド流行・傾向の最先端であると言い「アンアン」「ノンノン」等の雑誌も全て同じ主張でしたが、その流れに違和感があり絶対数の多い段階世代をトレンドの主軸とすべきと思っていた。

もうひとつパーマ&カットの時代が続くとも思えませんでした。理由は経済成長を経験した団塊世代が白髪のまま過ごすとは思えず、不景気になれば費用面からもシンプルなヘアースタイルが主流になるはず、、、と考えたからでした。

詳細は割愛しますが35才の時、美容業で起業すると団塊世代を対象に明るく染まる白髪染(シャンプーブロー付)¥2,800で設定、当時相場の半額だった事もあり地域一番店に成長したけど、初めは周囲の美容室から相手にもされて無かったようです。

でも相手にされて無かったから他店と一気に差がつけられ一番店になれたのです。まずはスタッフに全力で先の見通しや根拠を伝え、明るく染まる白髪染めの塗布技術を完成させるまでの2年間、僕自身も接客や施術を繰り返しながらの全力投球でした。

薬剤メーカー研究室に連絡して科学的な解析や理論を学び、ヤク(羊に似てる)の毛、スタッフの親で何度も何度も実験を繰り返して費やした2年間で他店との間に開いた差は、10年先までアドバンテージ有利な状態にもなり事業存続の礎となったのです。

よく泣いたなぁ

葬儀支援を始めてから1,000件くらいまでは湯かんの度に泣いてました。

少しでも費用を抑えてあげたいと事前相談、搬送、打合せ、納棺師から拾骨まで全て自分達だけで全力投球してると毎回が初めての経験ばかり、とても手を抜く余裕はなく感情移入してるからでしょうか、家族より先に涙を流してる事が多かったです。

テクニック、技術、知識はありませんでしたから、真剣さだけで乗り越えてきた気がする。知識が無けれ知ったか振りせず、毎回家族と相談しながらの施行しか出来なかったから、家族目線を貫けたり、何を改善改革すべきか教えてくれたのは施行した家族なのです。

当支援センターの各プランが全てオリジナルなのは、葬儀屋側の商売としての企画でなく、施行した家族からの教えや気付かされたからで、一番意識してたのは『家族に寄り添う事』かなぁ、というより他に出来ることはありませんでした。

打合せも含め必要な事を伝達すれば、家族と一緒にいる必要は無いのですが、家族しか居なければ雑談をしながら寄り添う事で、家族の心理、不安、後悔、要望、希望など、普通なら葬儀屋には言わない本音を知れたから今の支援センターになれたのです。

施行が終わるとグッタリ、、

毎回全力投球、、根が不器用なのでしょうね。

施行中は正直なところ家族の為とかより、自分が納得できるまでやってるんだと思う。だから葬式後に戒名説明したり、時間があれば家族写真を撮ったり、家族の話題を繋いだり、最後の拾骨も自分で先導して説明したり、僕自身も箸でなく素手で骨に触れたりもします。

葬式が終わって事務所の椅子に座りながら寝てる事も増え、千明からも「以前は事務所でコックリなんてし無かったですよね」と言われますから、これが70才なんでしょうね。

お世辞も言えず、時には家族を叱ることさえある奴ですが、現役で支援活動を続けられる限り唯一の取柄である全力投球を貫き続けるつもりです。

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