己を知ること
多くの人がそうであるように僕も若い頃は根拠の無い自信、もしくは単なる虚栄心か分かりませんけど、上司、社長、周囲の人達に見る目が無いと思ってた時期があったり『俺は本物の馬鹿なのか!?』と思ったりもしました。
本物の馬鹿!? かもと思ったのは中学生の頃、精力が余ってるというか、自制心の欠如というか、1日にマスターベーション7回で最後に血が混じってた時『俺は本物の馬鹿かもしれない、、』と落ち込んだのを思い出しますが、今はそんな元気を分けて欲しいくらい遠い良き思い出です。
仕事は数えられないほどあり、全ての仕事を経験する事はできませんから、天職どころか適職を見つけるのさえ大変、、でも子供時代から現在までの自分を振り返れば、その片鱗を垣間見ることはできるので仕事を探す上で参考になるはずです。
僕の場合5才まで商売を営む祖父母に育てられましたから、祖父母の教えは僕の根底というか源流のようなもので潜在意識の中にしっかり根付いてます。
『商売で大事なのは「金」でなく信用と思い遣り』『自分より弱い人に慈愛の心で優しくあれ』そして今以て苦手な『実るほど頭を垂れる稲穂かな』更には自分の中に湧き出た『人は執着を捨てれば楽に生きられる』これらが僕という人間を形成する基礎なんだと思う。
『商売で大事なのは「金」でなく信用と思い遣り』
35年の経営者人生で支払いだけは「待った」と言った事が無い事、閉め切りと支払いは各法人毎に違い、月末締め切り、翌月末支払いも多いけど、美容業は基本が現金払いでしたから月末締め切り、10日までの払いを基本としてました。
ただ相手が個人経営の業者さんは全て現金払い、仕入れ代金を先払いさせるのは可哀そう、この辺りは現在も一緒で花屋さんは現金払い、石屋さんも先の支払い、他の業者さんも相手先の支払い規定がなければ当月末の支払いです。
35年間支払い時に値切ることなく滞納せずが『信用』に繋がってるようで、家賃を下げてくれたり、生花の量を増やしてくれたり、石屋さんも低料金で施行してくれるなどマージンを取らない当方に直接メリットはありませんが会員さんにはメリットです。
仕入れ先を叩いて値切って支払いを延ばして低価格を実現させる会社も多いけど、自分以外の犠牲の上に成立する特価より、自己犠牲のほうが気は楽です。
『自分より弱い人に慈愛の心で優しくあれ』
当葬儀支援センター理念は正に祖父母の教え、超低価格なら当然だけど金銭面でなく、精神的な満足と堂々と胸を張って生きられるのがメリット、自分の利益より会員さん優先の発想が自然に身に付いてた結果が全てオリジナルプランに活かされてます。
この点は葬儀支援活動だけでなく、生活の中でも活かされてるようで自分が優しくなれば周囲も自分に対して優しくなる実感があり、それは家族限定でなく一緒に働く千明にも同様です。
千明には80代半ばの母親が県内北部に住んでますが、僕の中に祖父母への後悔があるから、親孝行の真似事だけでもさせてあげたいと時間のある時を狙って散骨に行き、母親と一緒にランチを食べたり、数時間は聞き役に徹すると毎回元気になってくれます。
今では娘の千明より僕に向って話す時間のほうが長いほど、母親が喜べば、千明も仕事に集中してくれるし、僕のような後悔をしながら生きなくて済むはずです。
『実るほど頭を垂れる稲穂かな』
本当に頭の良い人なら自然にできる事なのでしょうが、中途半端な僕には非常に難しい祖父母の教え、加齢に比例し柔軟になってますけど腰の低い人間には成れていません。ただ横柄とか傲慢と言われた事はありませんからその点は救いです。
各斎場火葬炉を使用すると火葬炉前に置いて良い物として、前橋市は遺影・位牌・骨壺、伊勢崎市は+白木膳と斎場毎に違い、中には火葬炉前に生花を置きたいと言われる家族もいるけど斎場確認することなく「斎場の決まりで駄目です」と伝えます。
斎場担当者は断りにくいからですが、腰が低い印象だと我が侭を言う家族も多くなりそうなので、ある程度の強さも必要な気はします、、、って自己弁護かもしれませんけど、それが役に立つ事があるのも確かで、その一例が火葬中の飲食です。
飲食は待合室限定なので無料休憩所は飲物限定ですが、スーパーで買って持ち込んだほうが安いと伝えたり、待合室を借りた時は「茶菓子」「弁当形式料理」も同様に持ち込む事を勧めます。
大抵の家族は「持ち込んで良いんですか?」と言われますが、公営斎場で料理を用意する事はありません。全て葬儀屋が持ち込んでるのですから家族が持ち込んでも同じ「代表がそう言うなら、、」と自分て買って持ち込む、当支援センターでは普通の光景です。
『家族の生活を守ろう』とするなら自分の利益も同様、家族メリットを貫き続ける事です。
とはいえ腰の低い対応に越したことはありませんから、困ったもんだと思いつつも、この強さが家族の盾になることもあると自己弁解する自分がいるのも事実、だから改善されないのかもです。
鶏が先か卵が先か
この格言は「仕事」と「家庭」の関係にも言え「仕事が順調だったり収入があるから平穏な家庭になる」と考えるか「平穏な家庭があるから仕事を頑張れる」どちらでも良いのですが、この辺りを自分の資質や価値観で解釈すれば良い気がします。
ちなみに僕は前者、理由のひとつは夫婦喧嘩の8割は「お金」で解決できると思う事、15才の家業倒産の経験則も影響してるかもしれませんが、仕事が趣味のような部分も確かにあるので職種にもよりますけど、仕事を楽しもうとする性格なんだと思う。
後者の人達は家族との時間を豊かにする手段として仕事(収入)と考えるでしょうから、そもそも家庭が好きな人か、自分や家族との時間に生き甲斐が持てる人なのだろう。
仕事馬鹿だから他人様より金銭面は少し恵まれてたけど、嫁さんや家族には寂しい思いをさせてきたのも事実、子供の野球を見に行ったり、運動会を見に行ったり、休みの日は家族を連れてドライブしたりってのも無かったですからね。
両立できた人は素晴らしい人生を生きたんじゃないかなぁ、その意味では70才の今も1日自宅でゆっくり出来るとすれば元旦くらい、家には寝に帰るだけの生活だから嫁さんからしたら『動くATM』って感じかもしれませんね。
デートはいつも母親が一緒
嫁さんとは16才から付き合っており、車に乗るようになってから迎えに行くと、身体の弱かった嫁さんの母親がいつもひとりで自宅にいたから「一緒に乗ってく?」って聞いたら、最初は遠慮してたけど気付けば、いつも母親は後部座席に座って一緒でした。
22才で結婚すると公営住宅住まい、正月は重箱のおせちを作り、儀父母、儀弟達が来て元旦を過ごすのが恒例行事、昔の話しが出る度「2人だけのデートって殆ど無かったよね」と嫁さんに言われてましたが、若い頃から皆が喜んでくれるのが好きだったみたい。
義母が亡くなり、義父が同居、義父の認知症が酷くなり施設入所しても、元旦はおせちを作って持って行き皆で食べてましたが、義父の逝去で恒例行事も無くなりました。
今は千明家のおせちを作っているので重箱おせち作り48年、疲れるし、面倒なんだけど、自分の事ながら皆が喜んでくれるのが嬉しいのでしょう。
自分に合った仕事
『仕事は趣味のよう』『他人が喜んでくれると嬉しくなる』『寝るのが惜しく朝が苦手な愚図』『お金より遣り甲斐が大事』そんな奴だったから葬儀屋でなく、葬儀支援センターの発想になり、家族目線で喜んで貰える対応になったんだと思う。
設立当初「何で葬儀支援をしようと思われたのですか?」と良く聞かれましたが、自分の資質や性格から生まれたものだから、特別な思いや、特殊な発想では無い、仕事ってそれほどの大義名分があってしてるものじゃないでしょ!?
芝居が好きなら俳優、話術に長けてるなら噺家や漫才、食材を見て味が描けるなら料理家、文才があれば執筆家や脚本家、土が好きなら農家、海が好きなら漁師、社会情勢に卓越してれば投資家、言われた事を実行し続けられる持続力があるなら工場や公務員が適職でしょ。
僕の場合、葬儀支援という国内初の事業を創り出し、プランも利用者目線から生まれたオリジナルばかり、当方プランを真似した『火葬+永代供養墓』『火葬+散骨』とか、僕が創り出した「葬儀支援センター」を使う葬儀屋までいますからクリエイター能力はありそうです。
お金より優先すべき事がある
世の中には存在無用の仕事も沢山あれば、絶体に必要な仕事もあるけど、必須職業の代表は『医師』かなぁ、続いて「農業」「漁業」「林業」などの一次産業、続いて「教職者」「汚物処理」「警察」そして「死体処理関連」なども必須の職業と言えるだろう。
医師には「金」「名誉」「権力」を求める人もいれば『目の前の命を救いたい』と考える人もいて、専攻する科である程度は分かるが『命を救う最前線と言えば』救急科医師、救命救急士を希望はその最たる人物のように感じるし、お金だけでは出来ない仕事です。
価値観はそれぞれだけど、医師は命を守りたい人であって欲しい、警察は治安を守ろうとする人であって欲しい、自衛隊・消防隊は災害や火災や事故の時に頼もしい存在であって欲しい、教職者は勉強より人間としての礎を教える人であって欲しいと思う
その意味では人の死に関わる人達も同様、故人となった対象者の肉体処理だけでなく、残された家族に必要なアドバイスや相談ができる存在であって欲しいと思うし、それができる支援センターでありたいと思って17年間生きてきました。
勿論、葬式に関わる全ての人に望むものでなく、全ての利用者が求めている訳でもありませんけど、まずは直近で必要な各種手続きを各々の家族毎に最善の方法をアドバイスできれば「助かりました」とか「ありがとう」と思われ信頼に足る人物に成り得るのです。
アドバイスの押し売りは無用ですが、必要な家族には家族の葬式を依頼した相手なら敷居も低いはず、実際にも葬式をした家族が、その後の人生についてもアドバイスして欲しいとか、雑談をするだけでも元気になると、わざわざ他県か来館される人もいます。
お金のための仕事、、僕には向いてない
家業倒産で貧乏も経験したから金を求めて仕事を転々とした時期もあるし、1日3つの仕事をしてた時期もあったけど結論から言うと『お金は限界がありません』100万円貯まれば良いのか、1,000万円なのか1億円なのか終わりが無いんです。
僕が金銭感覚で変化を感じたのは年収600万円を超えた頃、簡単に言うと「金」に対する執着が減った時で年収1,000万円で確信に変化、最高1,200万円以上は知りませんので、富豪と呼ばれる人達の心情は理解すらできませんが、僕はひとつだけメリットがありました。
ある程度余裕があると見栄を張る必要が無くなる事、50万の金はいつも財布に入ってますし、余程のもので無ければいつでも買えるので、何を買うにも周囲の目や見栄は無用です。
好きなのは「玉子掛けご飯」夏は「水を掛けたご飯にキューリのQちゃん」「味噌汁を掛けたご飯」も好きですから、粗食というか行儀の悪いご飯が好きみたいです。
金儲けを優先しない仕事は余り暇がありませんけど、サラリーマンなら休日が無い、毎日サービス残業と苦に成りそうな事でも意識すらせず、辛い、大変、眠い、疲れたは有っても『嫌』だと思った事は一度もありませんから不思議です。
支援活動ができる心身の健康があって普通に食えれば良いんじゃねぇ!?
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